クリニックにおけるクレーマー患者対応|診療拒否の判断・初動・警察連携の実務

〜応召義務の正しい理解から,カスハラ防止措置への対応,ネット上の中傷対策まで〜

クリニックの患者トラブルは,待ち時間への不満のような接遇上の苦情から,暴言・居座り・SNSでの攻撃まで,幅広い態様があります。2026年(令和8年)10月1日には,顧客等の言動で社会通念上許容される範囲を超えたもの(カスタマーハラスメント。以下「カスハラ」といいます。)に対する雇用管理上の措置が事業主の義務となり,患者やその家族の言動から職員を守る体制づくりは,クリニックにとっても法的な課題になりました。一方で,医師には診療を拒んではならないという応召義務があり,「悪質な患者だから診療を断れる」と言い切ることはできません。本記事では,診療拒否の可否の判断枠組み,初動対応と記録,警察・弁護士への相談,ネット上の中傷への対応,院内体制の整備を,裁判例とあわせて整理します。

【この記事の結論】
  • クレーム患者への対応は,①正当な苦情・要望か,②社会通念上許容される範囲を超えているか,③診療を続けるべき状況か,の順に切り分けて判断します。対立が深まる前の段階から,記録と複数名での対応を始めることが基本です。
  • 診療拒否ができるのは,医師法第19条第1項の「正当な事由」がある場合に限られます。令和元年12月25日付け厚生労働省医政局長通知は,緊急対応の要否を最も重要な考慮要素とし,診療時間,信頼関係の有無も考慮するとしています。迷惑行為があるというだけで,一律に診療を断れるわけではありません(3項)。
  • 診療の基礎となる信頼関係が失われたとして診療拒否が適法とされた例(札幌地方裁判所2023年(令和5年)4月26日判決等)がある一方,患者に事情を聴かないまま診療を拒否して慰謝料の支払を命じられた例(東京地方裁判所2021年(令和3年)3月30日判決)もあります。拙速な診療拒否は,新たな紛争を招くおそれがあります(4項)。
  • 2026年(令和8年)10月1日から,カスハラ防止措置は事業主の義務です。職員を雇用するクリニックは,方針の明確化・周知,相談体制の整備,被害を受けた職員への配慮,悪質な言動への対処方針の策定などを講ずる必要があります(2項,9項)。
  • 暴言・居座り・金銭要求・ネット上の書込みは,言動の内容によっては犯罪に該当し得ますが,成否は個別の事情で判断されます。職員と他の患者の安全を優先し,必要に応じて警察への相談・通報を検討してください。ネット上の中傷は,内容によって削除や発信者情報の開示が認められるかが異なり,投稿への反論は患者の守秘義務との関係で慎重な検討が必要です(7項,8項)。
  • 自院での解決が難しい場合,弁護士は,診療拒否の可否の法的評価,警告書の作成,相手方との対応,削除請求・開示請求,仮処分など,事案に応じた場面で関与できます(11項)。

目次

根拠法令・参照資料

※医師法第19条第1項(応招義務),第24条(診療録の記載・保存),歯科医師法第19条第1項

※厚生労働省医政局長通知「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」(令和元年12月25日付け医政発1225第4号。以下「応招義務通知」といいます。)

※労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(昭和41年法律第132号。以下「労働施策総合推進法」といいます。)のうち,2026年(令和8年)10月1日に施行された改正後の第33条(カスハラ防止措置)

※事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和8年厚生労働省告示第51号,2026年(令和8年)2月26日公布,同年10月1日適用。以下「指針」といいます。)

※労働契約法第5条,民法第166条・第167条・第724条・第724条の2,民事保全法

※刑法第130条・第134条・第222条・第223条・第230条・第231条・第233条・第234条・第249条

※特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律(平成13年法律第137号。以下「情報流通プラットフォーム対処法」といいます。旧称は,特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(プロバイダ責任制限法)です。)第5条・第8条

※個人情報の保護に関する法律(以下「個人情報保護法」といいます。)第17条第1項・第20条第1項・第21条第1項・第22条

※障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律

※裁判例:札幌地方裁判所2023年(令和5年)4月26日判決ほか(4項に掲げる各判決)

上記は,2026年(令和8年)10月27日時点で確認した内容に基づきます。

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主要用語の定義

応招義務とは,医師法第19条第1項に基づき,診療に従事する医師が,診察治療の求めがあった場合に,正当な事由がなければこれを拒んではならないとされる義務をいいます。

カスタマーハラスメント(カスハラ)とは,職場において行われる顧客等の言動であって,社会通念上許容される範囲を超えたものにより,労働者の就業環境が害されるものをいいます(指針)。

顧客等とは,顧客,取引の相手方,施設の利用者その他の事業に関係を有する者をいいます。クリニックでは,患者やその家族が含まれ得ます。

安全配慮義務とは,労働契約法第5条に基づき,使用者が,労働者の生命,身体等の安全を確保しつつ労働できるよう,必要な配慮をする義務をいいます。

診療拒否とは,患者からの診察治療の求めに対し,診療を行わないこと又は診療を継続しないことをいいます。

診療の基礎となる信頼関係の喪失とは,患者の迷惑行為の態様に照らし,診療を継続するための前提となる,医療機関・医師と患者との信頼関係が失われた状態をいいます(応招義務通知の考え方に基づく当事務所の整理です。)。

1 クリニックで生じる患者トラブルの類型と切り分け

この項の結論

患者の不満は,診療内容,接遇・運営,過剰な要求,暴言・威圧・SNSでの攻撃の4類型に整理できます。類型ごとに必要な対応が異なるため,まず,正当な苦情・要望か,社会通念上許容される範囲を超えた言動かを切り分けることが出発点です。

患者やその家族からの不満の全てが,カスハラやクレーマー行為に当たるわけではありません。診療内容や待ち時間への不満は,医療機関の改善につながる正当な意見であることも多く,まず誠実に傾聴して事実関係を確認することが前提です。そのうえで,言動の内容や態様が社会通念上許容される範囲を超えるかを判断します。

1-1 患者トラブルの4類型

当事務所は,クリニックの患者トラブルを,次の4類型に整理して考えています。これは実務上の整理であり,法令上の分類ではありません。

類型典型的な言動初期対応の方針想定される法的論点
診療内容・結果への不満「治療を受けたが良くならない」「説明と違う結果になった」「誤診ではないか」といった訴え診療録に基づいて事実関係を確認し,説明は医師が行う。経過を記録して保全する。診療内容の説明,診療契約上の責任,損害賠償請求,保健所・医師会への相談
接遇・運営への苦情「受付の態度が悪い」「予約したのに1時間待たされた」といった訴え傾聴と事実確認を行い,改善できる点は改善する。通常は法的問題になりにくいが,対応次第で要求が過剰になるおそれがある。
過剰な要求診察代の免除,交通費や慰謝料の請求,院長の謝罪や土下座の要求要求の根拠を確認し,その場で即答せずに検討の時間を確保する。強要罪・恐喝罪に該当し得る場合,保険診療の一部負担金の取扱い
暴言・威圧・SNSでの攻撃脅迫的な発言,長時間の居座り,虚偽の口コミ投稿職員と他の患者の安全を優先する。記録を残し,警察・弁護士への相談を検討する。脅迫罪,威力業務妨害罪,不退去罪,名誉毀損罪に該当し得る場合,カスハラ防止措置,削除請求・開示請求

診療内容への不満は,感情的な対立が深まると,損害賠償請求や,保健所・医師会への相談へ発展することがあります。診療内容の説明は,医師が行い,説明の内容は診療録に記載しておくことが重要です。患者から診療録の開示を求められた場合は,個人情報保護法に基づく開示請求として,所定の手続で対応します。診療に起因し,又は起因すると疑われる死亡又は死産が生じ,管理者が予期しなかったものである場合には,医療事故調査制度(医療法第6条の10)に基づく医療事故調査・支援センターへの報告の要否や,遺族への説明(同条第2項)を検討し,医師賠償責任保険への連絡も含めて,早い段階で弁護士へ相談してください。

接遇上の不満は,初期段階では接遇の問題にとどまりますが,対応する職員の応対が不適切だと,「誠意を見せろ」といった過剰な要求へ発展することがあります。また,不当な要求に一度応じると,同様の要求が繰り返されるおそれがあるため,要求への対応は,院内で方針を定めたうえで,責任者が判断することが重要です。

1-2 正当な苦情とカスハラの切り分け

指針は,カスハラを,①職場において行われる顧客等の言動であって,②社会通念上許容される範囲を超えたものにより,③労働者の就業環境が害されるもの,と整理しています。②は,言動の内容と手段・態様に着目して判断され,いずれか一方が許容範囲を超える場合も該当し得ます。

患者やその家族は,施設の利用者等として,「顧客等」に当たり得ます。したがって,患者・家族の言動が社会通念上許容される範囲を超え,職員の就業環境を害する場合は,カスハラ防止措置の対象になります。

診療の現場では,患者の痛みや不安,認知機能の低下や精神疾患等の病状が,言動の背景にあることがあります。当事務所は,患者の言動を評価する際には,言動に至った経緯や患者の病状を踏まえて判断すべきと考えます。病状の影響による言動は,直ちに「悪質」と評価できず,診療上の対応や,家族・関係機関との連携を含めて,対応を検討する必要があります。

1-3 診療科・診療形態による留意点

患者トラブルへの対応の基本は共通ですが,診療科や診療形態によって,特に注意すべき点が異なります。次の表は,当事務所が実務上の留意点として整理したものです。

診療科・形態特に留意すべき点
精神科・心療内科病状(妄想,衝動性等)が言動の背景にある場合があり,直ちに「悪質」と評価できません。診療拒否は,病状と緊急性を特に慎重に確認し,主治医・家族・関係機関との連携を含めて検討します。
小児科言動の主体は,保護者であることが中心です。児童の診療の必要性を最優先に確認し,保護者への対応と,児童の診療とを切り分けて検討します。
歯科治療が複数回にわたるため,治療の途中で診療を拒否すると,治療の中断が患者に与える影響が大きくなります。治療の進捗,代替手段,患者の言動の内容を踏まえて判断します(4項の東京地方裁判所2017年(平成29年)2月9日判決参照)。
在宅医療・訪問診療患者宅での診療は,職員の安全確保が難しくなります。複数名での訪問,緊急連絡体制,危険を感じた場合の退避の基準を,あらかじめ定めておきます。患者宅では,退去を求める立場が院内と異なる点にも留意が必要です。
自由診療・美容医療料金,返金,キャンセルの条件が争点になりやすいため,契約内容の説明と同意書面を整備しておきます。消費者契約に関する法規制との関係の確認が必要になることがあり,弁護士への相談をお勧めします。

2 クリニックが負う法的責任と義務

この項の結論

職員を雇用するクリニックは,労働契約法第5条の安全配慮義務を負い,2026年(令和8年)10月1日からは,労働施策総合推進法に基づくカスハラ防止措置の義務も課されています。患者対応の不備が直ちに責任につながるわけではありませんが,体制を整えていないことは,紛争の場面で不利に働くおそれがあります。

2-1 安全配慮義務(労働契約法第5条)

労働契約法第5条は,使用者は,労働契約に伴い,労働者がその生命,身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう,必要な配慮をするものと定めています。クリニックの院長(個人開設の場合)や医療法人は,使用者として,この義務を負います。

患者からの暴言や威圧を放置し,職員が適応障害やうつ病等を発症した場合には,使用者が,職員から損害賠償を請求されるおそれがあります。もっとも,責任が認められるかどうかは,被害の内容,予見可能性,使用者が講じた措置の内容,因果関係等の具体的な事情によって判断され,患者対応の不備が当然に安全配慮義務違反になるわけではありません。

顧客等からの言動への対応では,対応ルールや相談体制等の整備状況が,使用者の責任の判断で考慮されることがあります(個別の事案の判断は,事実関係により異なります。)。当事務所は,「患者対応も仕事のうちだ」として職員に我慢を求める運用は,法的なリスクが高いと考えます。クレーム対応の仕組みづくりは,トラブル処理にとどまらず,職員の就業環境を守り,離職を防ぎ,診療体制を維持するための経営上の取組と位置付けることができます。

2-2 カスハラ防止措置の義務化(2026年(令和8年)10月1日施行)

2025年(令和7年)の労働施策総合推進法の改正(令和7年法律第63号)により,事業主には,顧客等の言動であって,業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたもの(カスハラ)により労働者の就業環境が害されることのないよう,相談に応じ適切に対応するために必要な体制の整備,その抑止のための措置その他の雇用管理上必要な措置を講ずることが義務付けられました(同法第33条第1項)。事業主は,労働者が相談を行ったこと等を理由とする解雇その他不利益な取扱いもしてはなりません(同条第2項)。この規定は2026年(令和8年)10月1日に施行されています。厚生労働大臣は,これらの規定に違反している事業主に勧告をした場合に,勧告に従わなかったときは,その旨を公表することができるとされています(同法第42条第2項)。具体的な措置の内容は,指針(令和8年厚生労働省告示第51号。2026年(令和8年)2月26日公布,同年10月1日適用)に定められています。

指針は,事業主が講ずべき措置として,次の5つを求めています。右欄は,当事務所が整理した,クリニックでの具体例です。

指針が求める措置内容クリニックでの具体例
1 方針の明確化,周知・啓発と対処内容の定めカスハラへの対応方針を明確にして,職員に周知・啓発する。対処の内容を定める。院内の方針文書の作成,朝礼・院内会議・書面配布による周知,マニュアルへの記載
2 相談窓口の整備と相談への適切な対応相談窓口を定めて周知し,担当者が相談の内容や状況に応じて適切に対応できるようにする。院長・事務長,外部の弁護士・社会保険労務士等を窓口として指定する。
3 事実確認,被害者への配慮,再発防止等の事後対応事実関係を確認し,被害を受けた労働者に配慮し,再発防止の措置を講ずる。担当の変更,休憩・休養の確保,相談先の案内,院内での再発防止策の共有
4 特に悪質な行為への対処方針の策定と体制整備特に悪質と考えられる言動への対処の方針を定めて周知し,対処できる体制を整備する。警告書の送付,診療拒否,警察への通報等の判断基準と,判断者の決定
5 相談者のプライバシー保護,不利益取扱いの禁止相談者等のプライバシーを保護し,相談等を理由とする不利益取扱いをしない旨を周知する。相談記録の閲覧者の限定,不利益取扱いの禁止の明文化

措置義務を負うのは,労働者を雇用する事業主です。クリニックの規模にかかわらず,職員(常勤・非常勤・パートタイムを含みます。)を雇用していれば,院長(個人開設の場合)や医療法人が,事業主として対象になるものと当事務所は考えます。未整備の項目がある場合は,方針の明確化・周知と相談窓口の設置から着手し,対処方針,マニュアル,研修を並行して整えることを提案します(着手の順序は当事務所の提案であり,法定の順序ではありません。)。

2-3 医療機関特有の留意点

指針は,各業法等によりサービス提供の義務等が定められている場合や,サービスが途絶すると顧客等の生命や心身の健康に重大な影響が及ぶ場合があることに留意して,適切に対応する必要があるとしています。医療機関では,医師法第19条第1項の応招義務が,これに関係します(3項)。カスハラへの対処として,診療を断る,来院を制限するといった措置を検討する場合には,応招義務の判断枠組みに沿った検討が欠かせません。

あわせて,消費者の権利や,障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律上の不当な差別的取扱いの禁止及び合理的配慮の提供にも留意が必要です。患者の障害や病状に起因する言動は,障害特性への理解を踏まえ,対話を重ねる対応を検討します。

3 診療拒否(応召義務)の判断枠組み

この項の結論

医師法第19条第1項は,診察治療の求めがあった場合に,正当な事由がなければ診療を拒んではならないと定めています。「クレーマーだから診療を断れる」という一般的な権利が認められているわけではなく,緊急対応の要否,診療時間,診療の基礎となる信頼関係の喪失の有無等を個別に検討して,正当な事由があるかを判断します。

3-1 医師法第19条第1項と応招義務通知の考え方

医師法第19条第1項は,診療に従事する医師は,診察治療の求めがあった場合には,正当な事由がなければ,これを拒んではならないと定めています。歯科医師にも,歯科医師法第19条第1項に同様の定めがあります。

何が「正当な事由」に当たるかについて,応招義務通知(令和元年12月25日付け医政発1225第4号)は,患者について緊急対応が必要であるか(病状の深刻度)を最も重要な考慮要素とし,そのほか,診療時間内か時間外か,患者と医療機関・医師との信頼関係等を考慮要素として挙げています。

患者の迷惑行為との関係では,応招義務通知は,診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らして,診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には,新たな診療を行わないことが正当化されるとしています。迷惑行為の例として,診療内容そのものと関係のないクレーム等を繰り返し続けることが挙げられています。

【ご注意】 応招義務は,医師が国に対して負う公法上の義務であり,患者に対する私法上の義務ではないとされています。他方,応招義務通知は,医療機関としても,正当な理由なく診療を拒んではならないとしています。応招義務に違反したことが直ちに民事上の責任を生じさせるわけではありませんが,診療を拒否した結果,患者に損害が生じた場合には,医療機関が,診療契約上の債務不履行や不法行為の責任を問われるおそれがあります(4項)。

3-2 緊急性と診療時間による判断の整理

応招義務通知は,緊急対応の要否と診療時間内外の組合せごとに,診療拒否の考え方を次のように整理しています。

場面診療拒否の考え方
緊急対応が必要・診療時間内専門性,設備,他の医療機関による代替可能性等を総合的に勘案し,事実上診療が不可能といえる場合に限り,診療拒否が正当化される。
緊急対応が必要・診療時間外応急処置を行うことが望ましいが,原則として,公法上・私法上の責任は問われない。
緊急対応が不要・診療時間内原則として,必要な医療を提供する必要がある。正当な事由は緩やかに解釈され,患者との信頼関係も考慮される。
緊急対応が不要・診療時間外即座に対応する必要はなく,診療しないことは正当化される。診療時間内の受診や,他の医療機関の紹介が望ましい。

応招義務通知の整理に照らすと,緊急対応が必要な患者について,迷惑行為や信頼関係の喪失のみを理由に診療を拒否することは,特に慎重な判断を要します。診療所は,夜間・休日の診療体制や専門外の疾患への対応力が限られるため,拒否を検討する場合には,医師が症状の緊急性を医学的に判断し,その判断の過程を診療録に記載しておくことが重要です。他の医療機関への紹介や救急要請など,患者が必要な医療を受けられるようにする措置も,あわせて検討します。

3-3 「信頼関係の喪失」が認められやすい事情と認められにくい事情

信頼関係の喪失は,患者の迷惑行為の態様に照らして判断されます。応招義務通知や次項の裁判例から,実務上は,次の点が検討の要素になると当事務所は整理しています。

観点認められやすい方向の事情認められにくい方向の事情
患者の言動暴言・暴行,長時間の居座り,診療内容と関係のないクレームの繰り返し,検査の拒否と興奮状態の継続一度限りの苦情,病状に起因する不安や混乱,医療機関側の対応に起因する不満
経緯と原因患者側の言動が,信頼関係の悪化の原因になっている。医療機関側の説明不足や対応の不備が,原因になっている。
診療の必要性緊急性がなく,他の医療機関でも診療が可能である。緊急対応が必要である。他に受入先がない。
医療機関の対応注意・警告を行い,事実関係を確認したうえで,責任者が判断した。患者に事情を聴かず,直ちに診療を拒否した(4項の東京地方裁判所2021年(令和3年)3月30日判決参照)。
記録言動の内容,日時,院の対応が,客観的に記録されている。記録がなく,経緯を後から説明できない。

診療拒否を患者に伝える前に,院長等の責任者が,患者の言動,診療の必要性,代替手段の有無を確認し,組織として判断する流れを,あらかじめ定めておくことをお勧めします。

3-4 医療費の不払と診療拒否

応招義務通知は,以前に医療費の不払があったとしても,そのことのみをもって診療しないことは正当化されないとしています。他方,支払能力があるにもかかわらず悪意をもってあえて支払わない場合等は,正当化され得るとされています。したがって,窓口での支払の拒否や値引きの要求があっても,それだけで直ちに診療を拒否することはできません。まず,未払の事情を確認し,書面による請求など,請求の方法を検討します。

3-5 診療拒否を検討する際の手順

診療拒否を検討する際の手順は,次のとおりです。これは当事務所の実務上の提案であり,法定の手順ではありません。

  1. 患者の状態と診療の必要性を確認する医師が,症状の緊急性,診療の継続の必要性,他の医療機関での診療の可能性を確認します。診療時間内か時間外かも確認します。
  2. 迷惑行為の内容を記録する言動の内容,日時,場所,同席者,これまでの経過,院が行った対応を,客観的に記録します。録音・録画については,6項を参照してください。
  3. 注意・警告を行う迷惑行為が続く場合には,院長等の責任者が,言動をやめるよう求め,続く場合には診療を継続できなくなるおそれがあることを,口頭又は書面で伝えます。
  4. 院長等が組織として判断する担当職員の個人的な判断で診療を拒否せず,院長(法人の場合は管理者)が,手順⑴から手順⑶の内容を踏まえて判断します。必要に応じて,弁護士に相談します。
  5. 拒否の伝え方と代替手段を案内する拒否する理由を簡潔に伝え,他の医療機関の紹介など,必要な医療を受けられる手段を案内します。
  6. 判断の根拠と経過を記録して保存する判断の根拠,伝えた内容,患者の反応を記録し,保存します。

3-6 よくある失敗・NG対応3例

NG対応何が問題か・リスク改善の方向
窓口担当者が,その場の判断で「もう来ないでください」と告げる診療の必要性や緊急性を確認しないまま拒否すると,正当な事由がないとされ,債務不履行や不法行為の責任を問われるおそれがあります。院長等が,診療の必要性と代替手段を確認して,組織として判断し,記録します。
患者本人の言動を確認せず,第三者とのトラブルを理由に診療を打ち切る患者本人の関与が確認できないのに,事情を聴かず診療を拒否したとして,慰謝料の支払を命じられた例があります(4項の東京地方裁判所2021年(令和3年)3月30日判決)。患者本人の言動かどうかを確認し,患者の言い分を聴いたうえで判断します。
医療費の不払のみを理由に診療を拒否する不払のみでは正当化されないとされており,応招義務違反が問題になるおそれがあります。未払の事情を確認し,請求は書面等で行います。診療拒否は,悪意の不払等の事情を踏まえて,個別に判断します。

4 診療拒否をめぐる裁判例

この項の結論

診療拒否が適法とされた裁判例は,患者の著しい迷惑行為,緊急性の欠如,他の医療機関での診療の可能性,医療機関側の対応が重なった事案です。一方で,確認や手続が不十分なまま診療を拒否して責任が認められた裁判例もあり,個別の事情を丁寧に検討する必要があります。

【ご注意】 本項に掲げた各判決は,判例データベース(LLI/DB判例秘書)に登載された判決原文で,事案と判断を確認しています。

4-1 診療拒否が適法とされた例

判決事案・判断
札幌地方裁判所2023年(令和5年)4月26日判決(損害賠償請求事件)動悸や嘔気を訴えて救急搬送された原告に,当直の男性医師が診療した事案です(令和4年(ワ)第607号)。原告は,男性医師による心エコー検査を大声で拒否し,同意を得て女性看護師が行った心電図検査では異常は認められませんでした。その後も,原告は大声で抗議し,夫の頬を平手打ちし,髪を引っ張るなど,興奮した状態が続き,点滴を求めましたが,医師は応じませんでした。原告は,診療拒否が違法であるとして,慰謝料を請求しました。
裁判所は,診療拒否が不法行為に当たるかは,医師法第19条第1項の趣旨を踏まえ,社会通念に照らして判断すべきとしました。そのうえで,心電図検査に異常はなく,病院内で嘔吐した事実も確認されていないため,緊急に医学的処置を行う必要性や点滴治療の必要性は認められないこと,医師が,カルテで男性不信やPTSDの既往を確認しており,原告の言動が精神疾患による可能性があるとして,精神疾患も診られる病院への搬送を勧めたことには相応の理由があること,原告の言動が病院に対する著しい迷惑行為となっていたことを踏まえ,医師が信頼関係を築けないと判断して診療を拒んだことは社会通念上相当であり,違法とはいえないとして,請求を棄却しました。
東京地方裁判所2022年(令和4年)3月10日判決(慰謝料請求事件)形成外科の医師(被告)による治療を受けていた患者(原告)が,治療の終了後,自転車事故による右手の切創について被告の診療を求めて病院を2日続けて訪れたものの,診療を受けられなかった事案です(令和3年(ワ)第1088号)。原告は,診療拒否が応招義務に違反し不法行為等に当たるとして,慰謝料等300万円を請求しました。被告が診療しなかった理由は,他の患者を診療する予定があったことのほか,原告から治療期間中に贈り物やメッセージを受け取り,交際を申し込まれたと受け止めて,距離を置いたほうがよいと考えたことでした。
裁判所は,医師法第19条第1項の応招義務は,医師が国に対して負う公法上の義務にすぎず,患者に対して直接診療義務を負うものではないとしました。そのうえで,診療拒否が不法行為に当たるかは,同項の趣旨を踏まえ,社会通念に照らして,①緊急の診療の必要性,②他の医療機関による診療の可能性,③診療を拒否した理由の正当性等を総合して判断するとし,本件では,紹介元のクリニックで直ちに縫合されなかったことから緊急性は認められず,縫合は他の医療機関でも可能であり,拒否の理由にも正当性があるとして,診療拒否は不法行為にも債務不履行にも当たらないと判断し,請求を棄却しました。
東京地方裁判所2014年(平成26年)5月12日判決(債務不存在確認等請求事件)手術を受けた患者が,その後,繰り返し病院に来院し,手術への不満から,執刀医の謝罪や説明,診察を求め続けた事案です(平成25年(ワ)第3492号)。病院は,患者の診療には応じられない旨を通知したうえで,診療義務等の不存在の確認と,敷地への立入りや業務妨害行為の禁止を求めました。裁判所は,患者の言動により,医師と患者との信頼関係は,適切な医療行為を期待できないほどに破壊されているとして,診療義務,問診義務等は現時点で存在せず,診察の求めを拒否する正当な事由があり,応招義務に反しないとして,この部分の請求を認容しました。他方で,患者の来院の目的が直ちに不当とはいえず,業務の遂行に著しい支障が生じたとまでは認められないとして,立入り・業務妨害行為の禁止の請求は棄却しました。
東京地方裁判所2017年(平成29年)2月9日判決(損害賠償請求事件)歯科医院でインプラント治療を受けていた患者が,治療期間が長引いたことへの不満から,歯科医師や職員への暴言,指示の不遵守,治療費の支払の拒否を繰り返し,歯科医師が治療の終了を通告して以後の診療を拒否した事案です。裁判所は,患者の意向の無視やインフォームドコンセントの違反は認められず,信頼関係が壊れた原因は患者の言動にあるとしました。そのうえで,上部構造の装着完了まで治療が実施されていたこと,合理的な事情がないのに治療費の支払を複数回拒んだこと等を総合して,診療拒否には歯科医師法第19条第1項の「正当な理由」があるとして,請求を棄却しました(平成26年(ワ)第29168号)。

4-2 診療拒否が違法とされた例

判決事案・判断
東京地方裁判所2021年(令和3年)3月30日判決(損害賠償請求事件)不妊治療のクリニックに通院していた患者について,クリニックの看護師が,帰宅途中に,患者の知人を名乗る女性から声をかけられ,携帯電話を奪われて撮影した画像を消去される事件が生じ,看護師が警察に相談した後,医師が,患者に今後は診療できないと告げた事案です(平成31年(ワ)第3093号)。裁判所は,患者が女性とつながっていると認める客観的な証拠はなく,患者や夫に事情を聴くなどの手続も経ずに,直ちに診療を拒否したことは相当でなく,患者の責めに帰すべき信頼関係の喪失も認められないとしました。不妊治療は緊急性が高くなく,他の医療機関でも受診できるとしても,信頼関係の喪失が認められない以上,正当な事由があるとはいえないとしました。そのうえで,診療拒否は診療契約上の債務不履行又は不法行為に当たると判断し,慰謝料20万円と弁護士費用2万円の合計22万円の支払を命じました(一部認容)。なお,診療所のスタッフが拒否に至ったことに全く理由がないとはいえず,違法性は一定程度にとどまるとして,慰謝料の額が定められています。

このほか,救急患者の診療拒否が問題となった事案では,応招義務は直接には公法上の義務であり,診療拒否が直ちに民事上の責任に結びつくわけではないとしつつ,患者保護の側面があることから,診療拒否により患者に損害を与えた場合には,医師の過失が一応推定され,正当な事由の存在を主張・立証しない限り,民事上の責任が認められるとした裁判例があります。千葉地方裁判所1986年(昭和61年)7月25日判決(昭和56年(ワ)第731号)は,ベッドの満床を理由に,救急搬送された幼児の診療を拒否した病院について,この考え方を示し,病院の責任を認めました。神戸地方裁判所1992年(平成4年)6月30日判決(平成元年(ワ)第1569号)は,救命救急センターである病院が,交通事故の被害者の受入れを拒否した事案で,正当な事由は認められないとして,慰謝料の支払を命じました。

他方で,同じ時期の裁判例には,結論を異にするものもあります。名古屋地方裁判所1983年(昭和58年)8月19日判決(昭和51年(ワ)第1803号)は,夜間に,高齢の心臓疾患の患者の入院診療を依頼された病院の当直医が,他の重症患者の治療に当たっており,脳外科の専門医であって他の専門医の診療を受けさせたほうが適切と判断したことなどから,入院診療を断った事案で,応招義務は公法上の義務であり,その違反が直ちに不法行為を構成するかは疑問であるとしたうえで,仮に不法行為を構成するとしても,やむを得ない拒否であるとして,請求を棄却しました。名古屋地方裁判所1983年(昭和58年)9月30日判決(昭和52年(ワ)第3122号)は,休診日である年始に,患者側から診察を求められた病院が応じなかった事案で,医師は休診日や診療時間外にまで通常の診療時間帯と同程度の診療業務に就く義務を負うわけではなく,継続的に外来治療をしている患者でも,医師が患者の身体状況を把握しており,申込みの内容が医学的に直ちに診療するまでもないと判断できるときは,これに応じなくても診察応諾義務の懈怠とはいえないとして,請求を棄却しました。いずれも,応招義務通知が発出される前の判決であり,千葉地方裁判所と神戸地方裁判所の各判決を含め,クリニックの外来における患者の迷惑行為への対応に,そのまま当てはまるわけではありません。ただし,診療拒否の適否が,緊急性や代替手段の有無などの個別の事情により判断されるという点は,応招義務通知が示す考え方(3項)と共通します。

4-3 裁判例から読み取れる実務上のポイント

  • 診療拒否の適否は,緊急性,代替手段の有無,迷惑行為の内容と程度,信頼関係の喪失の原因,医療機関側の対応等を総合して判断されています。
  • 適法とされた例では,緊急性がなく,他の医療機関での診療が可能であったことに加え,患者の言動の内容や経緯に照らして,診療を拒否した理由に正当性があったことが前提になっています。
  • 違法とされた例では,患者本人の関与が確認できないまま,事情を聴かずに直ちに診療を拒否したことが問題とされています。
  • 診療拒否の判断は,担当職員個人ではなく,院長等の責任者が事実関係を確認して行い,記録に残すことが重要です。

5 初動対応の4原則

この項の結論

トラブルが発生したときの初動では,①客観的事実の記録,②感情的反応の抑制と謝罪の範囲の限定,③即答を避けて検討の時間を確保すること,④対応窓口の一本化,の4点が基本です。これらは法令が定める手順ではなく,当事務所が実務上有用と考える対応です。

5-1 客観的事実の記録(5W1H)

感情的な発言を受けると,何を言われたかに意識が向きがちですが,後の紛争に備えるためには,「いつ・どこで・誰が・何を求め・どう対応したか」を客観的に記録しておくことが重要です。記録は,記憶が鮮明なうちに作成し,次の点に留意します。

  1. 複数の職員からの聴取その場にいた複数の職員から,状況を聴き取ります。聴取した内容は,聴取した日時とともに記録します。
  2. 客観的な記録の活用防犯カメラの映像,受付・電話でのやり取りの記録等を保全します。録音・録画については,6項を参照してください。

5-2 感情的反応の抑制と限定的な謝罪

「申し訳ございません」という言葉には,待たせたことや不快な思いをさせたことへの配慮を示す趣旨(道義的な謝罪)と,医療機関側のミスや責任を認める趣旨(責任の承認)の2つの意味が含まれ得ます。事実関係が確認できていない初期段階では,「お待たせして申し訳ありません」「ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」といった,相手の気持ちに配慮する表現にとどめ,責任の有無の判断は,事実関係を確認した後に行います。「こちらのミスでした」「責任を取ります」といった発言は,後に過失がないと判明した場合でも,撤回が難しくなるおそれがあります。

5-3 即答を避けて「検討の時間」を作る

患者から,「今すぐ回答しろ」「この場で書面を書け」と迫られることがありますが,その場で応じる必要はありません。「私の一存では決められませんので,事実関係を確認したうえで,後日ご連絡します」と伝え,時間的・物理的な距離を置くことで,冷静な判断が可能になります。その場で,金銭の支払,謝罪文の作成,土下座に応じることは,後の紛争で不利に働くおそれがあります。回答の期限を示した場合は,期限を守ることが,相手の不信感の拡大を防ぐうえで重要です。

5-4 対応窓口の一本化と職員の孤立防止

1人の職員に対応を任せ続けると,精神的な負担が大きくなり,相手の攻撃も,その職員に集中しやすくなります。「本件は事務長(又は担当者)が承ります」と伝えて対応者を切り替え,組織として対応する姿勢を示すことで,担当職員を守りやすくなります。対面での対応は,可能な範囲で複数名で行います。また,対応した職員に対しては,話を聴く,担当を変更する,休息を確保するといった事後のフォローも行います。

6 記録・録音・証拠保全の実務

この項の結論

記録は,診療拒否の判断,警察への相談,弁護士への依頼,訴訟のいずれの場面でも,判断の土台になります。録音・録画は有用な手段ですが,個人情報の取扱いやプライバシーへの配慮が必要であり,掲示や利用目的の公表を含めたルールを定めておくことが重要です。

6-1 クレーム記録票の作成

診療に影響する患者の言動は診療録に記載し,苦情への対応の経過は,診療録とは別の記録票に整理することをお勧めします。医師には,診療をしたときは,診療に関する事項を診療録に記載する義務があり(医師法第24条第1項),診療録は,病院又は診療所に勤務する医師の診療に関するものについては,その管理者が,5年間保存する必要があります(同条第2項)。医師法には保存期間の起算点の定めがありませんが,保険医療機関の患者の診療録については,保険医療機関及び保険医療養担当規則第9条が,その完結の日から5年間と定めています。クレームの記録票は,次の項目を参考に作成します。

記載項目記載内容の例
日時・場所発生日時,場所(受付・診察室・電話等),対応した職員,同席者
相手方患者本人か家族か等の区別,診療録番号。個人情報として,閲覧できる者を限定して管理する。
言動の内容要求の内容,具体的な発言(可能な限り原文のまま),態様(声の大きさ,居座りの時間等)
診療上の状況症状と緊急性,診療の必要性,診療時間内か時間外か
院の対応説明・注意・警告の内容,責任者への報告の有無,今後の対応方針
証拠の保全録音・録画,防犯カメラ映像,書面,メール等の保存状況

6-2 録音・録画の留意点

録音・録画は,言動の内容を客観的に残すための有力な手段です。診察室や受付での録音・録画を行う場合には,次の点に留意します。

  1. 利用目的の特定と通知・公表録音・録画で取得する情報は,特定の個人を識別できる場合には,個人情報に当たります。個人情報保護法は,個人情報の利用目的をできる限り特定すること(第17条第1項),及び,個人情報を取得した場合には,あらかじめ利用目的を公表している場合を除き,利用目的を本人に通知し,又は公表すること(第21条第1項)を求めています。「クレーム等の事実確認のため,録音・録画をする場合があります」と院内に掲示し,ホームページやプライバシーポリシーで利用目的を公表する方法が考えられます。
  2. 不正の手段による取得の禁止個人情報保護法は,偽りその他不正の手段により個人情報を取得してはならないと定めています(第20条第1項)。録音・録画していることを患者が認識できるよう,掲示等の措置を講じておくことで,不適正な取得の問題を避けやすくなります。なお,取得の状況からみて利用目的が明らかであると認められる場合は,通知・公表を要しないとされていますが(同法第21条第4項第4号),録音・録画は,患者が気付きにくいため,この例外に当たるとは考えず,掲示等で公表しておくことをお勧めします。また,診察室での会話の録音など,病歴その他の要配慮個人情報(同法第2条第3項)が含まれる場合は,法令に基づく場合などの例外を除き,あらかじめ本人の同意を得ないで取得してはなりません(同法第20条第2項)。「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」(個人情報保護委員会・厚生労働省,令和8年4月一部改正)は,医療機関等が要配慮個人情報を書面又は口頭等により本人から適正に直接取得する場合は,本人が情報を提供したことをもって同意があったものと解されるとしています。ただし,この整理は「適正に」取得することが前提です。録音されていることを患者が知らないまま診察室の会話を録音する場合にまで,同意があったと解されるかは,このガイダンスからは明らかでないため,掲示等で録音を周知しておくことをお勧めします。判断に迷う場合は弁護士に相談してください。
  3. 録音・録画の範囲と保存診察室内の診療行為や,身体の露出を伴う場面,他の患者のプライバシーが含まれる場面の録音・録画は,必要性と相当性を慎重に検討します。録音・録画の範囲,保存期間,閲覧できる者を限定します。患者の病歴等は,個人情報保護法上の要配慮個人情報に当たり得るため,取扱いに特に注意が必要です。
【補足】 録音の適法性や,録音データを証拠として利用できるかどうかは,目的,態様,必要性,プライバシー侵害の程度等によって判断されるため,一律には言えません。録音・録画を導入する際は,院内のルールを定め,必要に応じて弁護士に相談してください。

6-3 記録の保存期間

クレームの記録や録音データの保存期間について,法令上の定めは確認できていません。民法上,不法行為に基づく損害賠償請求権は,損害及び加害者を知った時から3年(人の生命又は身体を害する場合は5年),不法行為の時から20年で時効により消滅します(民法第724条,第724条の2)。紛争になった場合に証拠が先に廃棄されることを避けるため,当事務所は,一定の期間(例えば5年程度)保存することを提案します。職員への安全配慮義務違反が問題となる場合は,債務不履行の消滅時効(民法第166条,第167条)もあり,職員の人身損害に至った事案では,より長期の保存を個別に検討します。

ただし,個人情報保護法は,個人データを利用する必要がなくなったときは,その個人データを遅滞なく消去するよう努めなければならないと定めています(第22条)。保存期間と,保存する目的(紛争への備え等)は,あらかじめ院内で定めておく必要があります。以上は当事務所の提案であり,法定の基準ではありません。

7 悪質な患者への段階的な対応と警察への相談

この項の結論

対応が平行線になった場合は,書面での対応,警告書の送付,診療拒否の検討,警察への相談・通報,仮処分等の法的手続の順に,事案の悪質性に応じて段階的に進めます。暴力や脅迫があり,身の危険を感じる場合は,段階を踏まずに,直ちに110番通報してください。

対応の全体像を,次の表に整理します。段階の区分は,当事務所の実務上の整理であり,指針や法令が定める段階ではありません。

段階内容判断者主な留意点
傾聴・説明事実関係を確認し,院としての考えを説明する。現場職員・事務長記録を開始し,複数名で対応する。
書面対応への移行診療外の苦情・要望の連絡方法を,書面等に限定する。事務長・院長診療に必要な連絡は制限しない。
警告書の送付迷惑行為の内容と,従わない場合の対応を通知する。院長(弁護士に相談)7-2を参照する。
診療拒否・来院の制限診療の継続や来院を断る。院長(弁護士に相談)3項の判断枠組みに従う。
警察への相談・通報犯罪に該当し得る行為について,警察に相談・通報する。院長・事務長(緊急時は現場)7-3を参照する。
法的手続仮処分,損害賠償請求等を行う。院長(弁護士に依頼)7-4を参照する。

7-1 書面・窓口を限定した対応への移行

口頭でのやり取りが平行線になった場合には,「今後のご意見・ご要望は,書面(又は指定の窓口)でお寄せください」と,診療外の連絡方法を限定して通知する方法があります。診療に必要な説明や連絡まで制限するものではないことを明確にし,診療が必要な場合は,引き続き対応します。この通知には法的な拘束力があるわけではありませんが,要求の内容を整理し,記録を残すうえで有用です(当事務所の意見です。)。

7-2 警告書の送付と来院の制限

迷惑行為が続く場合は,院長名又は弁護士名で,迷惑行為の内容,やめるよう求める旨,従わない場合には,診療の継続や来院を制限することがあること,警察への相談や法的手続を取ることがあることを記載した警告書を送付します。送付の事実を後で証明できるよう,配達証明付きの郵便等の方法を選び,送付した文書を保存します。診療拒否や来院の制限は,3項で述べた判断枠組みに沿って,慎重に判断します。

7-3 警察への相談・通報の基準

次のような行為は,具体的な事情によっては,犯罪に該当し得るため,警察への相談・通報を検討します。ただし,犯罪が成立するかどうかは,具体的な言動,場所,態様,業務への影響等を踏まえて判断されます。「退去を3回求めれば成立する」といった形式的な基準があるわけではありません。

行為の例関連し得る罪名留意点
退去を求められたのに,診察室や受付に居座り続ける。不退去罪(刑法第130条)管理権者(院長等)が退去を求めたこと,求めた日時と内容,居座りの状況を記録する。
大声や威圧的な言動で,他の患者を不安にさせ,診療を妨げる。威力業務妨害罪(刑法第234条)診療への具体的な支障(診療の中断,待機する患者への影響等)を記録する。
「殺す」「痛い目に遭わせる」等と発言する。脅迫罪(刑法第222条)発言の内容,状況,同席者や録音の有無を記録する。
金銭の支払,謝罪文の作成,土下座を要求する。恐喝罪(刑法第249条),強要罪(刑法第223条)要求の内容と,応じない場合の害悪の告知の有無を記録する。
虚偽の口コミ等で,医院の評判を傷つける。名誉毀損罪・侮辱罪(刑法第230条,第231条),信用毀損・業務妨害罪(刑法第233条)投稿の内容,日時,URLを保存する(8項)。

暴力や脅迫があり,身の危険を感じる場合は,ためらわずに110番通報してください。警察に通報することは,患者だからという遠慮の問題ではなく,職員と他の患者の安全を守るための正当な対応です。

警察に患者の情報を提供する場合は,医師の守秘義務(刑法第134条第1項)や,個人情報保護法上の第三者提供の制限との関係に注意が必要です。通報の際に提供する情報の範囲は,あらかじめ整理しておくか,弁護士に相談してください。

7-4 仮処分等の法的手続

面会の強要や,繰り返しの来院・電話等により診療が妨害される場合は,民事保全法に基づく仮処分(債務者に一定の行為を命じ,又は禁止する仮処分。同法第23条第2項,第24条)など,裁判所を通じた手続を検討できることがあります。仮処分の申立てでは,保全すべき権利と保全の必要性を疎明する必要があり(同法第13条第2項),担保を立てることを求められる場合もあります(同法第14条)。これらは,要件の検討や証拠の整理が必要であり,弁護士に相談して進めることをお勧めします。

8 SNS・口コミサイトの中傷への対応

この項の結論

口コミサイトやSNSの書込みは,内容によって,削除の申出,発信者情報の開示請求,損害賠償請求,刑事告訴を検討できます。もっとも,「事実無根なら削除できる」「主観的な感想は削除できない」と一律には言えず,権利侵害の明白性等を個別に判断する必要があります。また,投稿への反論は,患者の守秘義務との関係で慎重な検討が必要です。

8-1 投稿の証拠保全

投稿を見つけたら,まず,投稿の内容,投稿日時,投稿者名(表示名),URLが分かるように,画面を保存します(スクリーンショット,印刷等)。投稿が削除されたり,編集されたりすると,後の請求が難しくなるおそれがあるためです。

8-2 削除の申出と発信者情報の開示請求

情報流通プラットフォーム対処法(旧称はプロバイダ責任制限法)は,特定電気通信による情報の流通によって権利侵害が生じた場合の,プラットフォーム事業者等の責任や,発信者情報の開示などについて定めています。主な対応手段は,次のとおりです。

対応手段内容留意点
運営事業者への削除の申出口コミサイトやSNSの運営事業者の,投稿報告の窓口等から,削除を申し出る。運営事業者の判断で,削除に応じない場合がある。
裁判手続による削除請求裁判所に,投稿の削除を求める仮処分等を申し立てる。権利侵害の内容や証拠の整理が必要になる。
発信者情報の開示請求・開示命令投稿者を特定するため,情報流通プラットフォーム対処法第5条に基づき開示を請求する。同法第8条に基づき,裁判所に発信者情報開示命令を申し立てる手続もある。権利侵害が明らかであること,開示を受けるべき正当な理由があること等が要件とされている。
損害賠償請求・刑事告訴投稿者を特定したうえで,損害賠償を請求し,又は警察に告訴する。請求の前に,投稿の内容と証拠を整理する。

削除や開示が認められるかどうかは,投稿が事実の摘示か,意見・感想の表明か,医療機関の社会的評価を低下させるか,投稿内容が真実か又は真実と信じる相当の理由があるか,公共の利害に関する事実で公益目的があるか,といった点を踏まえて判断されます。「誤診された」「金を盗まれた」といった事実と異なる内容であっても,削除や開示が認められるかは個別に判断されるため,早い段階で弁護士に相談してください。

8-3 投稿への返信・反論の留意点

口コミへの返信は,感情的な反論をすると,かえって批判を招くおそれがあります。特に,患者の受診の事実や病状,診療内容に触れる返信は,医師の守秘義務(刑法第134条第1項)や個人情報保護法との関係で問題となるおそれがあるため,事実関係を公表する場合には,慎重な検討が必要です。当事務所は,返信をする場合には,患者個人の特定につながる内容を避け,意見を受け止めて改善に努める旨を伝える程度にとどめることを提案します。返信の要否や内容に迷う場合は,削除請求・開示請求の方針とあわせて,弁護士に相談してください。

9 組織的な対応体制の整備

この項の結論

患者トラブルへの対応は,個々の職員の資質に委ねず,組織の仕組みで行います。カスハラ防止措置の5つの措置に沿って,方針の明確化,相談窓口,マニュアルと研修,職員のケア,記録設備を整備することが,職員を守り,診療を継続するための基盤になります。

9-1 方針の明確化と周知(院内掲示を含む)

カスハラ防止措置では,事業主が,カスハラへの対応方針を明確にして,職員に周知・啓発することが求められます。院長・事務長が方針を文書にし,朝礼,院内会議,書面の配布等で,常勤・非常勤・パートタイムを含む全ての職員に周知します。

あわせて,患者に向けて,院内の掲示やホームページで,「暴言・暴力・長時間の居座り等があった場合には,診療や来院をお断りすることがあります」「安全確保のため,録音・録画をする場合があります」といった方針を示すことが考えられます。患者向けの掲示は,抑止の効果が期待できる取組の一つと当事務所は考えますが,掲示をしているだけで診療拒否が正当化されるわけではなく,個別の判断は3項の枠組みによります。

9-2 相談窓口とエスカレーションの設計

職員がトラブルを1人で抱え込まないよう,相談窓口と,判断の権限を明確にします。小規模なクリニックでは,次のような簡易な設計が考えられます。これは当事務所の設計例であり,指針が求める構成ではありません。

段階担当役割
一次対応受付,看護師等の現場の職員傾聴,事実の記録,責任者への報告
二次対応事務長,院長事実確認,対応方針の決定,診療拒否等の判断
外部相談弁護士,社会保険労務士等法的評価,警告書・交渉,警察・裁判所への対応

窓口の担当者が,相談の内容や状況に応じて適切に対応できるよう,マニュアルの整備や研修も必要です。カスハラが現に生じている場合だけでなく,生じるおそれがある場合や,該当するか微妙な場合でも相談できる窓口にしておくと,早期の対応につながります。

9-3 対応マニュアルと研修

「どのような言動があれば警察に連絡するか」「金銭の返還要求にどう答えるか」「診療拒否を検討するときは誰に報告するか」といった,判断の基準と手順を文書にします。マニュアルには,①初動対応,②複数名での対応,③記録の方法,④診療拒否の判断手順,⑤警察への通報の基準,⑥事後の職員のケア,を盛り込むことをお勧めします。経験の浅い職員も,パニックにならずに対応できるようになります。

研修は,1回で終わらせず,新しい職員の入職時や,マニュアルの改定時にも実施します。当事務所は,ロールプレイ等で,実際の応対を体験する方法が効果的と考えます。

9-4 職員のケアと不利益取扱いの禁止

被害を受けた職員に対しては,担当の変更,休憩・休養の確保,産業医や外部の相談機関による相談の案内など,事後のケアを行います。また,職員が相談したことや,事実確認に協力したことを理由とする解雇その他の不利益取扱いをしない旨を定めて,周知します。相談者のプライバシー(病歴,性的指向等)を保護するため,相談記録を閲覧できる者を限定します。

9-5 記録設備への投資

防犯カメラの設置や,必要に応じた録音機器の導入は,事実関係の記録と,不当な言動の抑止の両面で有用です。導入にあたっては,6-2で述べた個人情報保護法上の留意点(利用目的の通知・公表,掲示,閲覧者と保存期間の限定)を踏まえた運用ルールを定めます。

10 クリニックの自己点検チェックリスト

この項の結論

次の項目のうち,「はい」と答えられないものは,体制が未整備であるおそれがあります。優先順位をつけて,順に整備してください。

  • 患者トラブルへの対応方針(カスハラへの対応方針を含む)を文書にし,常勤・非常勤を含む全職員に周知しているか
  • 患者トラブルを相談できる窓口を定め,職員に周知しているか
  • 窓口の担当者が適切に対応できるよう,マニュアルや研修を整えているか
  • トラブル対応時に,複数名で対応し,責任者に報告する運用が定まっているか
  • クレームの内容・日時・対応を記録する様式があり,診療録とは別に管理しているか
  • 診療拒否を検討するときの判断者(院長等)と,診療の必要性・緊急性・代替手段を確認する手順が決まっているか
  • 警察への相談・通報の基準と,通報する職員の役割を定めているか
  • 録音・録画を行う場合に,利用目的を特定し,掲示や公表をしているか
  • 被害を受けた職員へのケアと,相談等を理由とする不利益取扱いの禁止を定めて,周知しているか
  • 口コミサイト・SNSの投稿を発見したときの,証拠の保存と相談先(弁護士等)が決まっているか

11 弁護士へ相談すべき場面と依頼できる業務

この項の結論

自院での対応が難しい場面は,診療拒否の可否や警告書の送付など法的評価が必要な場面,相手方との対応が必要な場面,ネット上の中傷への対応が必要な場面に分けて整理できます。課題ごとに,弁護士が関与できる業務の例は異なります。

自院で対応できる事項と,弁護士の関与が有用な業務の例を,課題ごとに整理すると,次のとおりです。具体的な対応の範囲は,事案によって異なります。

課題自院で対応できる事項弁護士の関与が有用な業務の例相談のタイミング
診療拒否の可否の判断症状の緊急性の確認,迷惑行為の記録,院長による判断判断の枠組みに沿った法的評価,拒否の通知文の作成,診療拒否後の紛争への対応診療拒否を伝える前
過剰な要求・居座り・繰り返しの連絡複数名での対応,記録,書面対応への移行警告書の作成・送付,相手方との交渉の窓口,面談強要等に対する仮処分の検討,警察への相談内容の整理要求が繰り返され,院内での解決が見込めなくなったとき
ネット上の中傷画面の保存,運営事業者への削除の申出削除請求,発信者情報の開示請求・開示命令の申立て,損害賠償請求,返信文の確認投稿を発見した直後
院内体制の整備方針の周知,記録様式の運用,研修の実施方針・マニュアル・就業規則の確認,職員の安全配慮に関する助言カスハラ防止措置が未整備のとき
職員の被害・労務の問題担当の変更,休養の確保,相談先の案内職員から損害賠償等を請求された場合の対応,休職・復職等の労務対応に関する助言職員の体調不良や退職の申出があったとき

弁護士が代理人に就任した旨を相手方に通知すること(受任通知)により,以後の連絡窓口を弁護士に一本化するよう求めることができます。もっとも,受任通知は,相手方の連絡を法的に禁止する効力があるものではありません。弁護士が就任しただけで要求が撤回されるとも限らず,その後の経過は,相手方の対応や請求の内容,手続によって異なります。

弁護士の関与の方法には,必要な場面で相談する方法のほか,平時から相談できる体制を整える方法があります。院長が対応に要する時間,診療への影響,職員の負担を踏まえて,比較して検討してください。労務体制の整備を継続的に支援するサポートについては,「労務体制を整備し,企業を強くするためのサポートプラン」を,人事労務に関する対応のコンサルティングについては,「人事労務対応コンサルティング」をご確認ください。

12 よくある質問(FAQ)

この項の結論

FAQでは,診療拒否の可否,医療費の不払,録音,警察への通報,ネット上の中傷,カスハラ防止措置の対象など,クリニックの実務上の疑問を整理します。

クレーマー患者の診療を断ることはできますか。
一律に断ることはできません。医師法第19条第1項の「正当な事由」があるかを,緊急対応の要否,診療時間,信頼関係の喪失の有無等から個別に判断します。緊急対応が必要な場合は,特に慎重な判断が必要です(3項)。
診療拒否を伝えるとき,どのような点に注意すべきですか。
院長等が,診療の必要性,緊急性,代替手段を確認し,患者の言動を記録したうえで,組織として判断します。拒否の理由を簡潔に伝え,他の医療機関の紹介など,必要な医療を受けられる手段を案内します(3-5)。
医療費を払わない患者の診療は断れますか。
以前の不払のみを理由に診療を拒否することは,正当化されないとされています。支払能力があるにもかかわらず悪意をもって支払わない場合等は,正当化され得ます(3-4)。
診察代の免除や慰謝料を求められた場合,その場で応じてよいですか。
その場で応じる必要はありません。「事実関係を確認したうえで,後日ご連絡します」と伝え,記録を作成して,責任者が判断します(5-3)。保険診療の一部負担金の減免は,保険医療機関及び保険医療養担当規則(第5条は,保険医療機関が一部負担金の支払を受けるものと定めています。)との関係を確認する必要があるため,弁護士等へ相談してください。
患者に録音していることを伝える必要がありますか。
録音のたびに本人の同意を得ることが必須とされているわけではないと考えられますが,利用目的を特定したうえで,本人に通知又は公表する必要があります(個人情報保護法第17条第1項,第21条第1項)。偽りその他不正の手段による取得は禁止されるため(同法第20条第1項),掲示等で録音を認識できるようにしておくことをお勧めします(6-2)。
退去を3回求めれば,不退去罪が成立しますか。
回数で成立が決まるわけではありません。不退去罪は,正当な理由がないのに,退去の要求を受けたにもかかわらず退去しない場合に問題となります(刑法第130条)。成否は,場所,管理権者の要求の内容,居座りの状況等によって判断されます。退去を求めた日時と内容,居座りの状況を記録してください(7-3)。
SNSの虚偽の口コミは,削除できますか。
投稿の内容によって異なります。運営事業者への削除の申出や,裁判手続による削除請求を検討できますが,事実の摘示か意見・感想か,真実性,公益性等を踏まえて個別に判断されます。まず画面を保存し,弁護士に相談してください(8項)。
口コミに返信してもよいですか。
返信は可能ですが,患者の受診の事実や病状等に触れる内容は,守秘義務や個人情報保護法との関係で問題となるおそれがあります。患者個人の特定につながる内容を避け,意見を受け止めて改善に努める旨を伝える程度にとどめることを提案します(8-3)。
職員が患者から暴言を受けた場合,院は何をすべきですか。
事実関係を記録し,担当の変更,休憩・休養の確保,相談先の案内などの職員のケアを行います。院として対処方針に基づいて警告や診療拒否,警察への相談を検討し,再発防止策を講じます。相談等を理由とする不利益取扱いはしてはなりません(2項,9項)。
小規模なクリニックでも,カスハラ防止措置の義務の対象になりますか。
措置義務を負うのは,労働者を雇用する事業主です。規模にかかわらず,職員を雇用していれば,院長(個人開設の場合)や医療法人が対象になるものと当事務所は考えます。2026年(令和8年)10月1日に施行されており,未整備の場合は,方針の明確化・周知と相談窓口の設置から着手し,対処方針,マニュアル,研修を並行して整えてください(2-2)。

13 まとめ

クリニックのクレーマー患者への対応は,「我慢させる」でも「断って終わらせる」でもなく,診療を必要とする患者の利益と,職員の安全・就業環境とのバランスを,法的な枠組みに沿って判断することが基本です。診療拒否は,緊急対応の要否,診療時間,信頼関係の喪失の有無等を踏まえた個別の判断であり,患者の迷惑行為があるというだけで一律に認められるわけではありません。拙速に診療を拒否すると,かえって損害賠償責任を問われるおそれがあります。

2026年(令和8年)10月1日からは,カスハラ防止措置が事業主の義務となりました。記録を残し,複数名で対応し,院長等の責任者が組織として判断する仕組みを,方針,相談窓口,マニュアル,研修として整えることが,職員を守り,診療を継続するための基盤になります。

次の一歩として,まず,10項のチェックリストで,自院の未整備の項目を確認することをお勧めします。診療拒否の判断,警告書の送付,ネット上の中傷への対応など,自院だけでの判断が難しい場面では,早めに弁護士へご相談ください。人事・労務分野の全体像は,「人事・労務に関する取扱分野」でも整理しています。

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診療拒否・患者トラブルのご相談の前に整理しておくとよい資料

患者トラブルへの対応や,院内体制の整備について,専門家への相談を検討される場合は,次の資料を手元にご用意いただくと,状況の整理が進めやすくなります。

  • 発生したトラブルの経過(日時,言動の内容,対応した職員)が分かるメモ・記録
  • 録音・録画,防犯カメラの映像,書面,メール,SNSの投稿画面等
  • 診療の状況が分かる資料(診療経過の概要。個人情報に配慮したもの)
  • 院内の就業規則,マニュアル,掲示物,患者向けの説明文書
  • 相手方からの要求の内容(金銭,謝罪,診療費の免除等)
  • クリニックの概要(開設形態,診療科,職員数)
免責事項

本記事は,掲載時点の法令,指針,裁判例等に基づき,一般的な法的情報を提供することを目的として作成しています。個別の事案では,事実関係や証拠等によって結論が異なるため,本記事は法的助言を目的とするものではありません。また,法令の改正,裁判例の変更等により,掲載内容が変更される場合があります。具体的な事案については,当事務所の弁護士へお気軽にご相談ください。

執筆・監修

日本橋法律特許事務所 代表弁護士 中山泰章(第二東京弁護士会所属)

患者トラブルの対応に悩んだら

診療拒否の判断や警告書の送付,ネット上の中傷への対応など,自院だけでの判断が難しい場面では,事案に応じて弁護士へご相談ください。

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